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【2016年】ミュージカル「ジキル&ハイド(石丸幹二さん)」の感想

今年初めてのミュージカル、東京国際フォーラムで行われていた「ジキル&ハイド」を見に行きました。

ジキハイは2005年の日生劇場で行われた鹿賀丈史さんバージョンを2度ほど観劇した事があります。

石丸幹二さんは、2012年に初めてタイトルロールを努めていますが、私自身は今回が初めて。

石丸さん、すごく良かった。人間くさくてとても哀れなジキルとハイドでした。

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キャスト(めちゃ豪華)
ジキル、ハイド 石丸幹二
ルーシー(娼婦) 濱田めぐみ
エマ(ジキル博士の婚約者)笹本玲奈
アターソン(ジキル博士の友人) 石川禅
ストライド(ジキル博士の恋敵)畠中 洋
プール(執事) 花王おさむ
ダンヴァース・カレー卿(エマの父親)今井清隆

目次

ジキル&ハイドのあらすじ。ミュージカルと小説版の違いについて

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ネタばれがあるので、嫌な方はスルーしてくださいね。

ジキルとハイドは小学生の時に小説で読んだ記憶がありますが、今回、プログラムと一緒に会場で売っていた小説も買ってみました。

ジキル博士が開発した薬により人格が悪と善に分かれるいわゆる二重人格の話ですが、ミュージカルと原作で結構違います。

薬を開発する動機が異なる

精神的な病を抱えた父親のために善と悪を分離する薬を開発し、それを使う事が人類の幸せにつながると強い信念をもったジキル博士。自らの体を使って実験し、悪の分身「ハイド」を生み出す

・・・というのがミュージカル版、薬を開発した動機。父親のため、人類のためと崇高です。

しかし小説では、ジキル博士は世間的には品行方正な紳士ではあったけれど、昔から歓楽好きな性癖がありそれを隠し続けて生きてきたと自覚し、自分の中にある<善>と<悪>に分けてしまえば、それぞれの面で楽に思う存分生きられると考えます。

例えば悪行を繰り返したとしても<善>の自分はそれにより恥辱を味わう事なくいられる、また<悪>の自分は善がもつ向上心や反省などに縛られく事なく思うようにふるまえる、と自らの欲望のために薬を開発しています。

殺人の動機も異なる

ミュージカル版でのハイドは、ジキル博士の研究に反対をした人たちを殺していくので、観ているほうもすんなり納得ができます。

もちろん反対したからといって殺人を犯すのはアレですが、彼なりの大義名分があるというのは理解できます。

でも小説版のハイド<悪>には、悪い事するのに理由は無く、というか必要もない。ただただ悪の存在というか。

小説版ハイドも殺人を犯しますが、回数は1回で理由もなんだかよくわからないもの。

でも理由なんていらないのだと思います。なぜならハイド<悪>だから。

婚約者、娼婦の存在はミュージカルだけ

ミュージカル版では、ジキル博士に惹かれ最後はジキル博士から「逃げろ」という手紙をもらいながらも、ハイドに殺されてしまう娼婦のルーシーや、ジキル博士の事を最後まで信じる婚約者のエマの存在が大きいのですが、小説ではこの二人は登場していません。

小説もとても面白かったですが、女性の登場がないとミュージカルのナンバーも味気なくなっちゃいますからねw

ハイドの存在に苦しむようになるのはミュージカルも小説も一緒

<善>のジキルの状態で薬を飲むと<悪>のハイドになるわけですが、だんだんハイドになっている時間が長くなり、薬を飲まなくてもハイドになってしまう瞬間がおとずれ・・・

最初はハイドになれて喜んでいたジキルも、ハイド(自分自身)の犯した罪に苦しみ、ハイドに飲み込まれる自分を制御できなくなり・・・

結末が悲劇なのはミュージカルも小説も一緒です。

で、ジキル&ハイドの感想 2016年3月11日観劇

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原作のイメージに近い?石丸幹二さんのジキル博士

最初に書きましたが、私は2005年の鹿賀丈史さんのジキハイを観劇したことがあります。

印象的だったのは、鹿賀丈史さんは一点の曇りもないように見える善良なジキル博士を演じられていた事。悪であるハイドと対極です。

でも今回観た石丸さんのジキル博士は、認めてもらえない自分の研究に対し、世間への憤り不満が強く出て、自身の中にもハイドが潜んでいるように見えるジキルでした。

ハイドが登場したのも、薬で突然ハイドが出てきてしまったというよりも、抑圧されていたジキル博士不満がハイドとなって現れたように見えました。

単純な善悪の対極ではないというか。

ミュージカルの制作時の意向などにより毎回、役柄は少しずつかわってくると思うから、単純に鹿賀丈史さんと石丸幹二さんの比較はできないのですが、今回の石丸幹二さんは原作のジキル博士に近い感じがしました。

ぐいぐい引き込まれた!石丸さんのジキハイ

ジキルとハイド。一人でキャラクターを使い分けるので大変だと思うのですが、ハイドになった時の甲高い笑い声、いやらしい地声(ほめています)、石丸さん本当にすごかった...

2階席で見ていましたが、1階の近くで見たかったよ...すごい迫力だろうなぁ。

歌が上手なだけでは務まらない役だと思いますが、歌、滑舌、演技全てが安定していて安心して観ていられました。

石丸さんはもちろん名前は存じ上げているけれど、生の舞台は初めてなんだよなぁ...もっとこれからは石丸さんの舞台をチェックしようと思いましたね。

3人のジキル&ハイド

プログラムを読んで気づいたのですが、

ジキル
ハイド
ハイドの出現を知ってしまったジキル

と、1人の内面に3つの人格?が出ているんですよね。

3つ目の人格は作曲したフランクワイルドホーンから今回、注文されたキャラクターで新たに取り入れられたようです。

ハイドの出現を知ってしまったジキルを見ていると、哀れで哀れで・・・ハイドでいる時間が長くなってしまった、もうジキルでは抑えられない、という絶望感が漂い、

ただ父親を救いたかった、人類を幸せにしたかっただけなのに

なんでこうなっちゃったんだろう・・・と可哀想で仕方なくなりました。

有名なナンバー「This is the moment(時が来た)」は、ジキル博士が薬の実験の前に、自分の研究で全てがうまくいくと夢をみて歌う曲ですが、結末を知って聞くと泣けますね。メロディーが良いだけに。。。

舞台で「時が来た」が歌われた時は、拍手がなかなかなりやみませんでした。石丸さんのジキルとしての曇りのない声が響き渡り本当に美しいナンバーでした。

石丸さんご本人によると、ジキルよりもハイドの方が体力を使うみたい。身体全体からふてぶてしさ、あざけりといった負の感情が出まくっていたので、ご本人の中でもしっかりスイッチが入られていたんだろうなぁと思います。

石丸幹二さん以外も実力のある俳優さんがそろった舞台で、全体的にまとまりもよく本当に素晴らしかった。

今回の公演メンバーのCDが発売されるのでそれを楽しみにしています。

ジキル博士とハイド氏ができた背景

そもそもなんでこの物語ができたんだろう...とミュージカルを見終わった後考えていたのですが、

作者のロバート・ルイス・スティーヴンソンがこの作品を作ったヴィクトリア朝時代は、

英国紳士が妻である女性に貞淑を要求し、しかし自分たちは欲求のはけ口として娼婦を買っていたという「二面性」を持っていた時代。

また産業革命により文明が急速に発展していった時代で、科学に対し人々は恐れを持っていた時代でもあるそうです。

(ミュージカルのジキル&ハイドでも、ジキル博士の治療薬の発明=神の冒涜、とみなしている場面があります。)

人間に潜む二面性(正しくは多面性かも)と新しいものへの恐怖。

ヴィクトリア朝時代に限らず、今でも存在すると思いますが、だからこそいつまでも読み継がれている話なのかもしれないですね。

ジキル&ハイド公演スケジュール

2016年3月5日~20日 東京・東京国際フォーラムC
2016年3月25日~27日 大阪・梅田芸術劇場メインホール
2016年4月8日~10日 名古屋・愛知県芸術劇場ホール

ジキル&ハイドの上演スケジュールはこんな感じ

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左から、濱田めぐみさん
ジキル&ハイドを作曲したワイルドホーン氏
笹本玲奈さん
石丸幹二さん

『ジキル&ハイド』ダイジェスト映像

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